![]() ハクチョウさんの渡りの通り道。
5月にもなると、日本を飛び立ったハクチョウさんたちは、 中継地のサハリンへと旅立っていくようです。 ![]() ![]() (イメージ写真:ハクチョウさん! ![]() そのため、duck4は、サハリンについて知りたくなり、図書館へ。 まず、 旅行ガイドブックを探し、 サハリンについて読んでみると... あの童話作家。 宮沢賢治が、1923年に、サハリンへ旅をしています。 その目的は、生徒の就職斡旋でした。 宮沢賢治がサハリンへの旅の途中に、 たくさんの挽歌(ばんか)を書いていたのです。 そのきっかけも、賢治は、サハリンへ旅する前年。 妹のトシを病で亡くしています。 その妹トシのことを、賢治は、『青森挽歌』の中で次のように書いていました。 かんがえださなければならないことは、 どうしてもかんがへださなければならない とし子はみんなが死ぬとなづける そのやりかたを通つて行き それからさきどこへ行つたかわからない (『青森挽歌』 ![]() 賢治は、サハリン旅行中。 汽車の車窓から見える景色をみながら、どんな想いで旅をしたのでしょうか? ![]() 妹トシが、天国へと旅立っていったことを、 吹っ切ろうと思っても、心の中でわだかまりがある賢治。 その想いが、この『青森挽歌』から伝わってくるようです。 宮沢賢治が、サハリンを旅したのは、1923年の真夏の8月初旬。 ちょうど、 多くのハクチョウさんたちは、シベリアで、子育て真っ最中の時期。 サハリンには、白鳥湖があり、 もしかしたら、宮沢賢治が、そこまで、足をのばしたのかもしれません!? ![]() なぜなら、サハリンへの旅が、モチーフとなったと言われている 『銀河鉄道の夜』には、次のような一節があるからです。 そのとき、車の中がぱっと明るくなって、汽車のゆくてから、白く光る羽をした 美しい白鳥が、なん百となくむれをなしてとんできました。 白鳥たちがはばたくたびに、その羽の先から光のしずくがこぼれおちるように見えました。 やがて、きらびやかな銀河の流れのまん中に、ぼうっと白い十字架があわわれ、 それは白鳥の姿のようにも見えて、それこそもうこおった北極の雲でつくったのかと思うように、 りんとしてかがやかしくそびえたっているのでした。 「あれは北十字だよ。」 以下省略・・・ ここが、白鳥停車場だよ。20分停車だ! (『銀河鉄道の夜』の一節より引用。 ![]() ![]() (『銀河鉄道の夜』講談社 宮沢賢治 影絵と文・藤城清治より ![]() 宮沢賢治がサハリンを旅した8月には、 ハクチョウさんがいたかどうか!? ![]() 定かではありません。 ハクチョウさんの渡りを調べていて、 サハリンが、ハクチョウさんたちの渡り道でもあります。 この賢治の『銀河鉄道の夜』に登場する 白鳥停車場は、もしかしたら、サハリンへの旅行中にインスピレーションを 受けたと考えるのも、まんざら、ありえない話ではないようです。 ![]() (参考文献 ![]() 『地球の歩き方’11~’12 シベリア&シベリア鉄道とサハリン』(ダイヤモンド・ビック社) (引用文献 ![]() 『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治 影絵と文 藤城清治 (講談社) ![]() ![]() スポンサーサイト
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![]() 銀河鉄道の夜は妹さんの死をきっかけとして誕生したと言われていますから、直近で訪問したサハリンでの風景が盛り込まれていてもおかしくはないですね♪
そういえば、白鳥の停車場の描写にサギを捕る人。 あの作品には白い鳥がたくさん出てきますね。
[2012/05/07 09:59]
URL | りな #GTE555uc[ 編集 ]
宮沢賢治の時代にサハリンに行く旅は、すごい冒険だったのでしょうね
千葉のプラネタリウムで銀河鉄道の夜を見ました 妹を失った兄の切ない気持ちもあったのですね 感慨深いです
[2012/05/07 12:13]
URL | 93 #-[ 編集 ]
サハリンは、ドイツでもドキュメントで
報道した事があります。 一般人にはとても、行く事は無理なんですが、 それだけ自然が残ってるって事ですね。 宮沢賢治の時代は冒険だったと思います。 気力の勝負ですね。
[2012/05/07 14:29]
URL | 太巻きおばば #-[ 編集 ]
りなさんへ
おはようございます! > 銀河鉄道の夜は妹さんの死をきっかけとして誕生したと言われていますから、直近で訪問したサハリンでの風景が盛り込まれていてもおかしくはないですね♪ > そういえば、白鳥の停車場の描写にサギを捕る人。 > あの作品には白い鳥がたくさん出てきますね。 『銀河鉄道の夜』には、妹トシとの別れることがあったとは。 そして、樺太(サハリン)への旅の途中に、 妹トシを想う挽歌が作られています。 旅をしながら、作品の中で描写したのでしょうね! そうですね! 白い鳥が出てきます。 ハクチョウさんの他に、サギさんも出てきます。 サギがいっぱい田んぼで小魚を取っている姿を 賢治は見ていたのでしょうかね! ![]() ![]()
[2012/05/08 06:23]
URL | duck4 #-[ 編集 ]
93さんへ
おはようございます! > 宮沢賢治の時代にサハリンに行く旅は、すごい冒険だったのでしょうね > > 千葉のプラネタリウムで銀河鉄道の夜を見ました > > 妹を失った兄の切ない気持ちもあったのですね > 感慨深いです わたしもそう思いました。 当時、サハリン(旧南樺太)は、日本領でした。 鉄道と船を乗り継いで、生徒の就職斡旋のために奔走していたようです。 ハクチョウさんの渡りのルートを調べるために、 サハリンのことを調べていたら、たまたま宮沢賢治のことを知りました。 そのサハリンの旅の途中で 妹トシを想う挽歌を書いています。 読んでいて、 胸がキューンとくるような気持ちになりましたね! ![]() ![]()
[2012/05/08 06:30]
URL | duck4 #-[ 編集 ]
太巻おばばさんへ
おはようございます! > サハリンは、ドイツでもドキュメントで > 報道した事があります。 > 一般人にはとても、行く事は無理なんですが、 > それだけ自然が残ってるって事ですね。 > 宮沢賢治の時代は冒険だったと思います。 > 気力の勝負ですね。 日本からサハリンに行くのには、 新千歳空港から飛行機でユジノサハリンスクに行くか。 夏限定ですが、稚内からフェリーがサハリン(コルサコフ)へ就航しています。 でも、ロシアに行くのには、ビザを取得しなければならないので大変なようですね! 宮沢賢治は、生徒の就職斡旋のために、 南樺太へ旅をしたようです。 その旅の途中で、妹トシのことを想い、 挽歌を残しています。 そして、樺太への旅をモチーフにして、 不朽の名作のひとつ『銀河鉄道の夜』を残しているようです。 ちょっと、サハリンにロマンを感じました! ![]() ![]()
[2012/05/08 06:42]
URL | duck4 #-[ 編集 ]
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duck4の定点観測ポイントの川には5羽の滞在組のハクチョウさん。大空を飛ぶことができませんが、元気に毎日、川を泳いでいます。この地域の人々にも愛され続けているハクチョウさんたちです。これからも、定点観測ポイントにいる飛べないハクチョウさんのこと中心にブログを配信していきます。今後ともに、宜しくお願いいたします。ブログ主宰者duck4より!
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