![]() わたしは、札幌を16時52分発、「スーパー北斗18号」
函館行きに乗りました。 ![]() (札幌駅に停車中の「スーパー北斗18号」) 生越さんの「ホイスコーレ札幌」の訪問も無事に終わり。 学生さんたちが、新たな目的を見つけて、学んでいる姿に、 私は、また活力を感じ始めました。 その後、生越さんとマネージャ役の生越さんの娘さんとで、 昼食をとりました。 そのとき、私が「鉄道で北海道に来ました。そして函館から乗った 列車がとても揺れてしんどかった」と話すと、娘さんが意外そうな 顔をして、次のように話してくれました。 「最近の列車は、新型車両になり快適になったわ!」 わたしが、函館から札幌まで乗ってきた特急「北斗15号」は、 おそらく「JR北海道」の前身である「国鉄」時代に製造された列車 であることを説明しなかったから、娘さんが意外そうな顔をした ことと思われます。 この「スーパー北斗18号」函館行きは、新型列車で、最高速度 130キロ走行が可能です。 振り子の気動車なので、カーブでもスピードを落とさず、 スイスイと走ることができる優れものです。 でも、わたしは、この振り子の気動車に乗っていると、少し船酔い に似た症状がでてきて、生あくびを連発するようになりました。 比較的、直線で線形の良い、新札幌、南千歳と停車と加速を 繰り返している区間でです。 私は、トイレに何回も行きました。 そして、私の生あくびも苫小牧に到着する頃にはおさまりました。 たぶん、横揺れにも慣れてきたからでしょう。 でも、登別、東室蘭までは直線区間が多いので、振り子気動車特有 の傾きや揺れは少なくなってきました。 東室蘭からはカーブが多くなるので、揺れがひどくなり、 また、気分が悪くなるのではないかと、心配しました。 しかし、わたしは、大きな揺れにも適応できるようになり、 船酔いに似た症状がでませんでした。 「スーパー北斗18号」は、完全に太陽が傾き、真っ暗に なった中を、かすかかに暗闇の中で照らされた海が、 車窓からかすかに見える中、非電化区間の伊達紋別、洞爺、 長万部、八雲、森、五稜郭を新型振り子の気動車特急は、 最高速度130キロでその威力をいかんなく発揮して いました。 そして終点の函館駅に20時14分に到着しました。 ![]() (函館駅に到着した「スーパー北斗18号) 函館駅は、行き止まり駅舎で、どの列車もこれよりまっすぐ、 進むことができません。 私は、ヨーロッパの駅を行き止まりの駅舎を連想していました。 この函館駅でわたしは、乗り換えで約1時間以上待つことに なります。 JR東日本で、仙台と札幌間往復の企画切符を購入したので、 函館駅での途中下車は許されていません。 そこで、私は、函館駅で列車を見ることにしました。 その間には、 スーパー白鳥が青森行き。 ![]() (函館駅に停車中の青森行きの最終のスーパー白鳥) ![]() (行き先表示。北海道の青森県の地図をモチーフのデザイン) 寝台特急カシオペア号が上野行き。 ![]() (機関車と客車の間の寝台特急カシオペア号) 1両編成の気動車が3本もホームが帰宅を急ぐ乗客のために、 待っていました。 ![]() (函館駅に停車中の3台の1両編成の気動車) わたしは21時48分発、「寝台特急北斗星」に乗り込みました。 私が夜汽車に乗るのは、幼稚園のと以来のことでしょうか? かつて、乗ったときには、ぜんぜん眠れなかったので、 安眠できるか、心配でした。 ![]() (上野行きの寝台特急北斗星の英語の表示版) ブルートレインに乗り込み、上段のベットに上がりこむと、 慣れるまで圧迫感を感じました。 そして、朝4時に仙台へ到着するので、目覚まし時計をセット するため、バックパックのファスナーを音がこぼれないように 静かに空けました。 ![]() (B寝台上段の内部とわたしのグレゴリーのバックパック) でも、この目覚まし時計は、必要ありませんでした。 線路の音で熟睡できず、頭の意識の中で線路音を子守唄に 眠っていたからです。 青函トンネルを走行を走行中もわかりました。 それは、リズムが変わったからです。 今までは「ガタン。ガターン。ガタン。ガターン」でしたが、 「サー。サー」という音に変わったからです。 この「青函トンネル」を走行中に眠りにつこうと思いましたが、 眠りに着くことができず、ポイントを通過する「ガチャ。ガチャ。 ガ。チャン」のリズムに変わったり、また「ガタン、ガターン」 という子守唄の小節にも変わっていました。 いつの間にか、私の意識から、線路の子守唄が聞こえなくなって いました。 また、わたしの意識の中に線路の意識がもどり始めたのが一関 を停車したころからでしょう。 目が覚めたり、またうつらうつらし始めました。 そこで、わたしはひとつ決意します。 目覚まし時計を止めて、ラウンジに行ってみよう。 そして、わたしは、ラウンジから見えるまだ日の出前の風景を 眺めていました。 仙台には4時54分到着。 まだ、始発電車が出発する前でした。 ![]() (仙台駅で撮影した寝台特急北斗星号) 最後になりますが、宮脇俊三著の『時刻表昭和史』を紹介します。 この宮脇俊三さんは、今風の言葉で言うと元祖「乗り鉄」で、 彼の学生時代の戦前、戦中時代に旅したことを、当時の歴史事情 を踏まえて、書かれた著書です。 宮脇俊三さんにとってのバイブルである時刻表という 第一次資料をもとに詳細に、当時の旅を再現されています。 わたしも、宮脇俊三さんの本を読み、それを参考に、ブログに 書いてみました。 「北帰港の鉄道の旅」はいかがでしたか? また、どこかの列車でお会いするまで。 ごきげんよう。 「はい。はい。(さようなら)」 ![]() |
![]() わたしは、仙台発10時38分の「はやて9号」の6号車20番席に座りました。
そのとき、これから、車窓から映し出される、ひとこま、ひとこまの映像。 それは、黄色に実っている田んぼ。 緑の山々の風景。 川。 空。 海。 それと、北の大地、北海道へと思いをはせる気持ちでいっぱいでした。 でも、9時間あまり、2回の乗り換えをする、長旅に思いをはせながら、 これが、飛行機なら、ホノルルまで行ける時間です。 と、思うと本当に長旅でした。 わたしの乗った「はやて9号」は盛岡駅に到着すると7割以上の人が 降りていきました。 車内はガラガラになりました。 この先は、真っ暗なトンネルの中を走り、時より町の風景が見えると、 また、トンネルの繰り返しです。 単調な風景もあり、お腹もすいてきたので、うちで作ってきた チキンカツサンドイッチをほおばりました。 そのサンドイッチは、お肉屋さんで買った、チキンカツ。 キャベツを切り、隠し味として「オタフクソース」を加えました。 チキンカツがとてもやわらかく、おいしく頂けました。 そんなこんな、食事を楽しんでいるうちに、12時03分に 八戸駅に到着しました。 ![]() (右側の緑の電車がスーパー白鳥9号) ![]() (真ん中の緑の電車がスーパー白鳥9号) 新幹線から、わたしの好きな特急電車「スーパー白鳥」に乗り換えです。 この八戸駅での乗り換えの光景もまもなく終焉を迎えます。 それは、東北新幹線が、新青森駅に今年の12月に延伸されるからです。 たぶん、この光景もこれが、見納めになることでしょう。 わたしの乗せた「スーパー白鳥9号」は、定刻の12時16分に発車しました。 この列車に乗る前に、わたしは「車窓から海を見たい」ということで、 函館駅に「どの座席に座ると津軽海峡が見えるのか?」を尋ねました。 すると、D側(デンマークのD)が見えるとのことだったので、わたしは、 切符を買うとき、4号車1番D席を座席指定してもらいました。 ![]() (自動ドアには北海道と青森県の地図が図案化) この「スーパー白鳥9号」は、八戸駅からの新幹線の乗り換え客で、 指定席でも7割近くの乗車がありました。 三沢、野辺地、浅虫温泉と停車して、青森駅到着で、5割以上のお客さんが 下車していきました。 この青森駅で「スーパー白鳥9号」の向きは逆方向になり、乗客は、 座席を進行方向へと向きを変え始めました。 そして、青森駅を発車。 津軽線に入ると、線路と道路が平行したところに家が並んでいて、時折、 神社も見えました。 「スーパー白鳥9号」は、単線区間を走行するので、待避線で待っている 貨物列車を横目に通過していきました。 ![]() (スーパー白鳥9号の本州最後の停車駅、蟹田) すると、車窓から海が見えました。 遠くには、かすかにフェリーが航行しているのが見えました。 海のそばには、家があり、まさにオシャンビューです。 でも、真冬はシベリアからの北風が吹き付けるので、生活が大変なのではと 思いました。 それから、10分ほど走行したことでしょうか。 「スーパー白鳥9号」は、世界一長い海底トンネル「青函トンネル」に入りました。 トンネル内は、複線で新幹線も走行できるような規格になっています。 そのため、線路はロングレールになっていて、継ぎ目の「ガタン。ガタン」という 音は、全くしません。 「スーパー白鳥9号」は時速140キロでトンネル内を走行します。 新幹線が新函館駅まで開通する2015年頃には、新幹線と貨物列車の両方が 走行するので、新幹線の速度も減速して走行するそうです。 ユーロトンネルを走行するユーロスターもトンネル内では、 貨物列車も走行するので、徐行するようです。 「青函トンネル」を過ぎると、そこは、北海道でした。 「スーパー白鳥9号」は北海道での最初の停車駅「木古内」に到着しました。 その後、津軽海峡沿いに沿うように走り、わたしの座席から海が一望できます。 車掌からは「函館山が見えます」という車内放送がありました。 ![]() (車窓から見える函館山と函館市内) 「スーパー白鳥9号」は函館に15時12分に到着しました。 乗り換えで待つこと11分。 本日、3本目の列車は、函館を15時23分発。 ![]() (特急北斗15号) 「北斗15号」札幌行きが、発車しました。 この「北斗15号」は、大沼公園、森、八雲、長万部、洞爺、伊達紋別、 東室蘭、登別、苫小牧、南千歳、そして終点の札幌に18時59分到着します。 所要時間は3時間36分かかり、最速の「スーパー北斗」と比べても、 停車駅も多く、旧型の気動車特急なので、36分も余計に時間がかかります。 「北斗15号」は、山あり、カーブがありの、線形もあまりよくない、 函館本線を、鋼鉄製の重い車体をふりふり、揺らせながら、直線区間では 最高速度の120キロ制限速度ギリギリまでだしたと思いきや、 曲線区間では、ブレーキを掛けながら走行していました。 車内でも駅弁は、買えるようです。 わたしの好きな駅弁で「いかめし」があります。 イカの中にもち米が入って、醤油で煮込む弁当です。 あの甘辛い醤油の香りと、イカともち米のもちもち感のハーモニーが 気に入っています。 しかし、「いかめし」は車内でも販売しないので、森駅で 立ち売りをしていないかホームを見てみましたが、いませんでした。 立ち売りのおじさんがいても、森駅では、30秒停車なので、 買うことはできなかったことでしょう。 そして、「北斗15号」は、東室蘭に到着しました。 これより先は、電化区間で、特急列車も1時間に1本運行します。 線形も直線区間が多くなり、最高速度120キロで走行しているようです。 古い気動車の特急列車でも少しは、快適に過ごせるようになりました。 苫小牧を停車後。 南千歳に向かう途中。 わたしのD席の反対側には、新千歳空港が見えてきました。 太陽も完全に落ち、外は暗闇に包まれていましたが、 滑走路に点灯しているイルミネーションが、わたしの目に 飛び込んできます。 もし仙台空港から飛行機に乗っていれば約1時間10分で 新千歳空港にランディングしているはずです。 「はやて9号」「スーパー白鳥9号」「北斗15号」を乗り継いで、 約8時間が経過しています。 でも、北海道の風景を車窓のスクリーンから眺めることができました。 それも8時間の「超長編映画」です。 間で、2回の乗り換えという休憩時間はありましたが、 やはり長い映画です。 南千歳からは、 新千歳空港に向かう「快速エアポート」 (1時間4本) 釧路に向かう「特急スーパーおおぞら」 帯広に向かう「特急スーパーとかち」 室蘭に向かう「特急すずらん」 函館に向かう「特急スーパー北斗」と「特急北斗」 普通列車が、1時間に3本。 それに貨物列車も運行しています。 JR北海道の中では「超過密ダイヤ区間」です。 そうこうしているうちに、札幌市街地に入り、新札幌に停車。 そして18時59分に「北斗15号」は札幌駅に到着しました。 ![]() |
![]() ホイスコーレ札幌の校長先生、生越さんは、
「ホイスコーレに学生さんを集める秘訣は、いかに自分が、 面白いと思う企画を開講することにあります」 ![]() と私に話してくれました。 一言で言うと「企画力」にあります。 学生さんは、農家の人が丹精込めて作った、かぼちゃのジュース を飲んだり、野菜料理をいただくのだそうです。 学生さんは、岩見沢駅に集合して、そこからは、バスで回るそうです。 わたしが留学していたホイスコーレでも、2週間に1回、デンマーク 国内をバス旅行しました。 このリポートの詳細は、後ほど紹介いたします。 その生越さんは「ホイスコーレ札幌」の他に、陶芸家という アーティストの肩書きもお持ちです。 毎週、土曜日には、陶芸教室を開いています。 私には、芸術家やアートを好む、知人や友人がいます。 その知人、友人から、常に、私は、「感性を豊かに」 させられているようです。 ![]() 最後になりましたが、生越さんのホイスコーレの企画は、 陶芸で培ってきた、「感性」を感じさせてなりません。 ![]() |
![]() デンマークのホイスコーレには、
宿泊型(2ヶ月から3ヶ月、寮で生活をする長期コース) 宿泊型(1週間から2週間、寮で生活をする短期コース) 通学型(毎日、ホイスコーレに通学するデイホイスコーレ) があります。 この「ホイスコーレ札幌」は、毎週水曜日、日中開講する「デイホイスコーレ」です。 受講の学生さんの約90%以上は、定年退職をした人々です。 男女比では、圧倒的に、女性が多いようでした。 これは、わたしの意見ですが、男性にも、もっと参加して欲しいところです。 私は、ある一人の女性に「ホイスコーレ札幌で学ぶ動機について」お聞きしました。 40歳代の女性の方で、「わたしの母を今年の7月にガンで亡くし、心が少しずつ 落ちついてきたので、ホイスコーレ札幌で学んでいるのよ」と話してくれました。 ホイスコーレに学びに来ている学生さんは、さまざまな想いを持ってやってきている ようです。 「ワールドカフェ」の授業の後に学生さんたちは、今の「自分たちの思い」について、 講義の最後にアンケートを書いていました。 その中で、私が目を引いたのが、「家族について」というコメントが、思ったより 多くあったことです。 学生さんにとって、「家族」のことが、大きな悩みのひとつのようでした。 ![]() |
![]() ホイスコーレ札幌は、さまざまな人の協力のもと、運営されいます。
特に、生越さんの娘さん。 と、旦那さんの協力。 が、私が思うに、大きいようです。 ちなみに、娘さんは、会計、事務全般を担う、「マネージャ」の役割。 企画への助言を行ったりもします。 旦那さんは、写真、記録などを、主に、行う「広報」の役割。 この広報活動は、ブログで行われ、ホイスコーレ札幌へのアクセス数は、 かなりのものです。 ![]() (広報担当の旦那さん) それに、校長先生の生越さんの「企画力」にあります。 良い講師をお呼びすることに尽きると、おっしゃっていました。 そして、講師依頼は、熱意を持って交渉にあたるそうです。 そのため、受講する学生さんも、第1期の30名から、第5期の50名と 増えてきています。 その学生さんの中には、第1期から学んでいる学生もいるそうです。 ![]() (受講学生の記念撮影) ![]() |
![]() 「ホイスコーレ札幌」は、18歳以上の人なら、誰でも学ぶことができる、
生涯教育の学校です。 週1回、水曜日9時30分から11時30分。 ![]() 東海大学(札幌キャンパス)を会場。 ![]() 各専門家の先生が受講生の学生さんにお話をしています。 開講期間 ![]() ![]() ![]() お休みをしているそうです。 約50名の学生さんが、学んでいます。 (第5期の秋コースの受講生の場合) 校長先生の生越玲子さんは、 「学校創設は、とても大変なこともありましたが、 私に協力をしてくださった、多くの友人、知人。 そして、大学の先生のサポートにより、今のホイスコーレ札幌がある」 とおっしゃっていました。 この生越さんとは、偶然、私が、デンマークのホイスコーレへの 下見旅の途中、バスの中でお会いして、意気投合しました。 生越さんが、ヘレネスのホイスコーレで学んで帰国後。 わたしは、デンマーク留学を果たしたのです。 その後、再び、札幌で、お会いする機会に恵まれました。 ![]() (左側は講師の先生。右側はホイスコーレ札幌の校長先生の生越さん) ![]() |
![]() わたしは、「白鳥」
![]() 飛ぶことができる鳥の中で、もっとも大きく、 体重が10キロある白鳥。 その白鳥が飛ぶ姿は、圧巻です。 今回は、札幌に行く機会があり、新幹線と電車を乗り継いで、 行くことにしました。 この「白鳥」、わたしが乗ったのは「スーパー白鳥」という 特急電車です。 現在、八戸と函館を往復しています。 よくJRは、列車に愛称名をつけます。 わたし個人的の趣味と意見ですが、特急「あひる」 ![]() 「スーパーダック」 ![]() それも、東京と舞浜間を走る列車です。 運行上の問題。 東京ディズニーランドのドナルドダックの著作権の関係で、 絶対無理ですね。 ![]() (わたしの好きな特急電車スーパー白鳥) ![]() |
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duck4の定点観測ポイントの川には5羽の滞在組のハクチョウさん。大空を飛ぶことができませんが、元気に毎日、川を泳いでいます。この地域の人々にも愛され続けているハクチョウさんたちです。これからも、定点観測ポイントにいる飛べないハクチョウさんのこと中心にブログを配信していきます。今後ともに、宜しくお願いいたします。ブログ主宰者duck4より!
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