春の選抜甲子園の大会で、宮城県からは、
東北高校が、1回戦に登場。
大震災後、東北高校の球児たちは、被災した方に、
ボランティア活動を行っていました。
残念ながら、試合の方は、負けてしまいました。
しかし、全国から、被災地域の宮城県へ暖かい声援に感謝いたします。

次に、若い人たちの話をします。
被災された地域に住んでいる中学生、高校生が、
一生懸命に炊き出しなどのボランティア活動していました。
子どもたちの中には、津波などで最愛なる家族を失った人もいたことでしょう。
しかし、悲しみを抑えながらも、ひたむきに打ち込む姿には、
心を打たれるものがありました。

これは、わたしの意見ですが、
若い人たちの力が、大震災で被害を受けた地域の復興。
ひいては、日本の「復活」の原動力になると、わたしは、信じています。
若い人たちの力が、未来の日本を救うと。

それから、大震災後、世界中の国々から多くの暖かい支援を受けてきました。
そのひとつが、イスラエルの医療団が、宮城県南三陸町に、
医師、看護師、検査技師の方々が、入り、診察を開始しました。
プレハブの仮設診療場を建て、診療を行っているそうです。
診療科目は、内科、小児科、産婦人科、整形外科です。
日本との医療チームと連携、指示のもとに診察が行われています。
今まで、全世界の130ヶ国から大震災の支援を受けています。
とても、とても感謝しています。

日本は、世界に見捨てられていないのだと、感じる瞬間でもありました。
まだ、復旧作業は、続いています。
特に、仙台市内の場合は、津波の被害を受けた地域では、
水道、電気のインフラの復旧のメドすらついていません。
わたしが、住んでいる宮城野区でも、ガスは、まだ使えません。
順次、安全が確認された段階で使えるようになるそうです。
ガス局の発表によると、1ヶ月から2ヶ月以上かかるとのことでした。
震災当初は、
自衛隊のヘリコプター。
自衛隊の車両。
消防の緊急車両。
警察関係の車両。
などがサイレンを鳴らしながら、国道45号線から
甚大な津波の被害を受けた「蒲生地区」に、人命救助のため朝7時になると
我が家の前を通過していきました。

(蒲生地区を通過する自衛隊のジープ)
自衛隊、消防、警察などの献身なる救援のおかげで、多くの尊い人命
が救われました。
おかげで、復旧から復興へ向けて、仙台が歩み始めることが出来ました。
彼らの勇気ある行動に、とてもとても感謝しております。

最近では、緊急車両の通過が少なくなり、
石油を運ぶタンクローリー。
大手流通会社のトラック。
一般の自家用車が、国道45号線を走るようになってきました。
渋滞もひどくなってきました。
全国、全世界からの支援により、
「復旧」から「復興」へと仙台が、歩み始めた証なのでしょう。
