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デンマーク留学&ヒュッゲな人生の楽しみ方
生涯教育の学校、フォルケホイスコーレへのデンマーク留学体験をもとに、一冊の本にまとめたお話。
ハンガリー人の友人と再開!
急遽、美濃へ行くことになりました。

そのわけとは、duck4のハンガリー人の友人が来日。

会いに行って来ました。


小著『ヒュッゲの国から』にも登場していただいた友人。

とても、懐かしく、5年ぶりの再会でしたが、

あの頃のことが思い出されました。


今回、友人は、美濃・紙の芸術村で行われる

作品展にするために来日でした。


取り急ぎ、ご報告まで!


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[2014/11/30 21:40] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(2) |
からっぽの図書館(Empty Library)!
石畳の広場を歩いているときに、

照明で照らされた、ガラス張りの地下空間を発見しました。


ガラス張りになっていたので、覗いてみると、

その空間は、全体が真っ白で、壁で仕切られているようでした。

よく見ると、そのモニュメントは、アート作品のようにも見えます。



すると、ホイスコーレの校長先生のクリスチャンさんは、

私たちに言いました。

「これは地下にある本棚だよ」


どういう意味何だろうと、わたしは、疑問に思いました。


そして、クリスチャンさんは、再び、言いました。

「Empty Library (からっぽの図書館)」



CIMG0907_convert_20110305061538.jpg

(「Empty Library (からっぽの図書館)」)



この「Empty library(からっぽの図書館)」は、

ある歴史的な出来事をモチーフに作ったモニュメントだったのでした。

ドイツがナチスの一党支配を受けていた1930年頃、ヒットラーは、

あることを命じました。


それは、反体制的な出版物。

本を燃やすということだったのです。


そのことを「焚書坑儒」(ふんしょこうじゅう)と言います。

まさに、ナチスが行ったこの歴史的なパフォーマンスは、言論統制だったのです。


この「焚書坑儒」ですが、歴史的にはナチス以外でも、行われたことがありました。

それは、古代中国の秦の始皇帝の時代です。

多くの歴史書などが、始皇帝の命令で、燃やされたのです。

つまり、ナチス同様に、古代中国でも思想弾圧が行われたのでした。


今日でも、物事を自由に言えない国は、まだまだたくさんあります。

自由に発言して逮捕されたり、投獄される国は、存在しています。


このベルリンにある「本のないからっぽ図書館」は、言論の自由の

大切さを世界中の人々に語りかけているようです。






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[2011/03/05 06:46] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
建物は歴史を語る!
わたしは、建築様式について、全く知りません。

しかし、ヨーロッパでは、よく見かけるような建築様式の建物。

確か、コペンハーゲン中央駅周辺でも、このような建築様式は、

見かけたことがあるような建物です。



そして、わたしは、その建物の前を、素通りする矢先のことでした。


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(ベルリンの市内にあったとある建物)

よくよく見ると、その建物には、あちらこちらに、無数の穴があります。

コンクリートの建物に、このような穴が、あるのは、不思議です。


ベルリンは、ローマのように地震が起きません。

日本のように、火山国でもないはずです。

しかし、地震ならば縦長にひびが入るはずです。

でも、この穴は、丸い形をしています。


そして、わたしは、もっと近づいて見ることにしました。


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(その建物の一部を撮影)


すると、どうやら、建物の壁に出来た、無数の穴は、弾丸か砲弾の後のようです。

建物全体には、無数の穴がありました。


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(無数の穴は弾丸の後)

ベルリンは、第二次世界大戦の末期。

ヨーロッパ戦線で終戦を迎える、1945年5月8日前に、

このベルリンの市街地は、ソ連軍の侵攻により、市街戦が起きました。

多くの一般市民も巻き込まれたはずです。


その戦火のときに、無数の砲弾それとも弾丸の後が、痕跡として、

この建物には、刻み込まれていました。

この建物は、まるで歴史の一承認として、私たちに、

語っているように思えてなりません。


今、中東の国、リビア(1977年から現在までの国旗)では、カダフィ大佐と反政府軍との内戦状態です。

首都のトリポリでも市街戦が展開される、恐れもあります。


一刻でも早く、世界中にハトが、平和に飛ぶことを願ってやみません。






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[2011/03/04 06:50] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(2) |
OSTは「チーズ」でなく「ひがし」!
日曜日だったということで、ベルリン市内では、渋滞に巻き込まれることは、

全くありませんでした。

そのため、スケジュール通りに、私たち、ホイスコーレのスタディツアーの一行は、

ホテルに着きました。

そして、アレキサンダー広場にあるパークインホテルにチックインした、

わたしは、部屋に入りました。

ちょうど、わたしの部屋からは、ちょうどテレビ塔が見えました。


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(ホテルから見えるテレビ塔)


わたしは、出発前に、全く、ベルリンの地図を手にして見ませんでした。

そのために、このホテルのあるアレキサンダー広場のエリアが、

ベルリンの壁があったころには、「西側」、それとも「東側」だったのかと、

わたしは、皆目、知るよしもありませんでした。


でも、ホテルの部屋から見ていると、均一のコンクリートの高層ビルが、

多く見られるので、このアレキサンダー広場は、東側だったのではないか、

と勝手にわたしは、想像しました。


そして、私たちのツアーの一行は、ウォーキングツアーに出発。

そこで、目にした道路看板がありました。

それには ”OST”と書かれていました。


この”OST”。

デンマーク語では、チーズと言う意味があります。

そこで、わたしは、ここにチーズ工場があるのですか?

とデンマーク人に尋ねました。


すると、ある人が、この意味はドイツ語で「ひがし」という意味だよ。

と教えてくれました。


このベルリン旅では、もう20年以上経過してしまいましたが、

東西分断を歴史。

と、新しく変貌している、革新的で斬新なベルリンの両面を

体験できそうな旅になりそうでわたしは、ちょっとワクワクし始めました。






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[2011/03/03 21:21] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ベルリンツアーのスケジュール!
このベルリンへの旅行は、4泊5日の

ヘレネス・フォルケホイスコーレのスタディーツアーでした。


参加者は、大多数のデンマーク人

ノルウェー人

ハンガリー人

ルーマニア人

そして日本人の多国籍の参加者のツアーになりました。

総勢で約30名ほどが参加しました。


宿泊場所は、ベルリンのアレキサンダー広場にある「パークイン・ホテル」

です。


前もって出発前に、参加者には、学校主宰の説明会で、プリント

が配られていました。

そのプリントには、4泊6日の「ベルリン・スタディーツアー」の

スケジュールが次のように書かれていましたので、ここに紹介いたします。


●第一日目

 6:00 ヘレネスのホイスコーレ出発

14:45 ベルリンのパークイン・ホテル到着

15:45 ベルリンの旧市街を散策

19:00 ホテルでの夕食

●第二日目

 8:00 朝食

 9:00 バスにてベルリン市内観光

12:00 西ベルリン地区で各自昼食

14:00 スカンジナビア諸国の大使館、レジスタント博物館、

      ドイツ連邦議会議事堂の見学。

19:00 ホテルでの夕食

●第三日目

 8:00 朝食

 9:00 絵画館(古典美術の博物館)の訪問

12:00 ポツダム広場周辺で各自昼食。

14:30 新ナショナルギャラリーの訪問。 

19:00 ホテルにて夕食

●第四日目 

 8:00 朝食

 9:30 ハンブルク駅現代美術館の訪問。

12:00 各自昼食。

13;30 ユダヤ博物館

19;00 ホテルにて夕食

●第五日目

 8:00 朝食

10:00 ペルガモン博物館

12:00 各自昼食

17:00 ホテルに集合後、参加者全員で夕食

20:00 ベルリン出発

●第六日目

 3:00 ヘレネス・ホイスコーレ到着・解散






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[2011/03/03 07:42] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ベルリン(Berlin)!
ベルリン(Berlin)と聞いて、あなたは何を連想しますか?


わたしなら、ベルリンと聞いて、やはり、今から、約20年前に、

崩壊した「ベルリンの壁」を連想します。


1961年から1989年まで、東西に分断されていたベルリン。

自由を求めて、壁を越え、東ベルリンからに西ベルリンに逃れようと人々。

その壁を越え、脱出に成功できた人々。

脱出に失敗して射殺されてしまった人々。

1990年にドイツが、統一されるまで、さまざまな歴史の悲劇を

経験してきた都市、それが、ベルリンと、わたしは認識していました。


わたしは、今まで一度だけ、このベルリンを訪れたことがあります。

それは、ホイスコーレのスタディーツアーでした。

デンマークのアッセンスコムーネのヘレネスから約7時間バスに乗って、

ベルリンに着きました。


バスの車窓から初めて見た、ベルリンの印象は、

「ある一瞬の間、時間が止まってしまった」という

錯覚を覚えました。


わたしは、これ以上、上手に表現できませんが、


「歴史のある一時期、時を刻むことなく止まっていた目覚まし時計が、

また再び、ねじ回しをして動き出した」


というようなことをベルリンという都市から感じたのです。


わたしが、そう感じた理由には、1961年から1989年の約28年間

「ベルリンの壁」で区切られていて、

ある一角は古い建物が集まり。

戦後に計画されて出来た建物。

そして、ベルリンの壁崩壊後に新しい建物が集まって立っていたからでした。


まさに、ベルリンは、今こそ、時間を取り戻している最中なのかもしれません。

わたしは、初めて、ベルリンを見て、そう感じたのでした。






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[2011/03/02 07:39] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(2) |
クララさんの個展!
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(クララさんの個展のポスター


ヘレネスのホイスコーレで一緒だったハンガリー人のアーティストの

クララさんからメールがありました。


それは、エストニア共和国のタリンで「個展」を開催するとのことです。



ファッションアクリル画の個展へようこそ!

「アート&スタイル」です。

場所は、タリンにあるハンガリー協会。

時間は、2011年2月18日です。


今週の金曜日には、タリンには行けませんが、

祝福のメールを送ります。


クララさん。

個展おめでとう!








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[2011/02/13 17:41] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
鳥たちの子育て!
春になると、小鳥たちは、一斉に鳴き出します。

そして、カップルになった小鳥たちは、巣をを作り始めます。

草むらの中。

木の枝に巣をつくります。


そして、親鳥たちは、卵を温めます。

産卵すると、親鳥たちは、ヒナ鳥のためにせっせと餌を運んできます。

ヒナ鳥たちは、巣の中で、「ピィ!ピィ!」と鳴きながら、親鳥が運んでくる餌を

待っているのです。


鳥たちの巣作りの季節は、5月頃になります。

その後、成長したヒナ鳥たちは、巣立ちの時を迎えるのです。



この子育ての時期には、わけがあるようです。

鳥の食べ物がいっぱいある季節だからです。

親鳥は、子どものために狩をしなければなりません。

多くの食べ物が必要になります。

鳥によって、食べ物には、違いがありますが、

虫、蛙、へびなどを食べます。

植物を好む鳥もいるでしょう。


それから、鳥の中には、渡りをする鳥もいます。

その渡り鳥は、自分たちが食べる虫、小動物、植物が、豊富にある土地を求めて、

渡りをするのです。


渡りの行為は、危険を伴います。

でも、渡りをします。

それは、生きるために、食べ物を探すため。

子孫を残すために、適した土地へと渡りをする必要があるからです。



最後になりますが、ハンガリーは、渡り鳥にとって、十字路になっています。

鳥たちの生息地となっています。


例えば、ダイサギ。

ヘラサギ。

雁。

ハヤブサ。

鷹。

ムシクイ(ウグイス科の鳥)

コウノトリ。

啄木鳥。

などなど、他にも沢山の鳥たちがいます。


ハンガリーは、ヨーロッパの中でもバードウオッチングが盛んな国になっているようです。



(参考文献) 『Lonely planet Hungary』





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[2011/02/05 09:19] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
財政赤字!
先日、日本の格付けがAAからAA-に下げられました。

1,000兆円にも及ぶ、国、地方の借金が原因しているということです。

格付け会社の格付けには、意義をもたれている人も中にはいるかもしれません。


でも、格付け会社が言うように、このまま、財政再建をしなければ、

また、日本の格付けが、下がる可能性もあります。

将来、日本もギリシャのように「国家破綻」ということにもなりかねません。


これは、わたしの切なる意見ですが、一刻でも早い、

財政再建と年金改革を強く望む限りです。


さて、今日は、ハンガリーの話になりますが、

このハンガリーも、日本同様、財政赤字の問題を抱えています。

ある格付け会社の発表によると、

ハンガリーの格付けは、BBB-です。


あるハンガリー人の経済学者が言っていましたが、

「ハンガリーの社会保障、社会福祉は、ハンガリー経済の能力を超えて公的支出をしている」

ことに問題があると指摘しています。


そのことを、もう少し簡単に言うと、「分相応以上に、政府が、お金を使っている」

ということになります。


これを、日本にも、当然、当てはまることです。

国が、集めてきた税金よりも、借金の方が多いのですから、

日本も分相応以上の、予算を歳出していることになります。


そして、ハンガリーの財政赤字の原因を次のように、分析しています。

ハンガリーは、共産主義時代からの手厚い、社会保障、社会福祉を継承してきたことにあります。

例えば、医療保障は税金。

年金は保険料。

子ども手当て。

幼稚園の無償。

そして、労働者の完全雇用などです。


ハンガリーは、1989年に「自由化」され、

EUのメンバーになりました。

欧州諸国、世界から、国境を越えて、「人」「物」「金」が入るようになりました。


そして、今、ハンガリーは、さまざまな問題を抱えています。

失業の問題。

貧富の格差。

賃金の格差です。

そして、国の財政赤字の問題


グローバルリズムの影響で片付けることは、結論としては簡単なことかもしれません。

しかし、ハンガリー同様、日本にもあることを、

私たちは理解しなければならいなことでしょう。


(参考文献) 『ハンガリーを知るための47章』(明石書店)






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[2011/02/04 09:34] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(2) |
温泉の効能!
温泉の効能は、とても効きました。


ハンガリーに出かける前、わたしは、脚がとても痛かったです。

腰痛が再発したのではないか、

と心配しました。


1ヶ月くらい、痛み止めの薬を服用していました。

しかし、効きませでした。

デンマークのフォルケホイスコーレは、バスタブがなくシャワーのみだったのです。

体を温め、血行をよくさせるためにも、わたしは、入浴したいと願っていました。


この頃、原稿も書き始め、

学校、行政機関、福祉施設で取材し、録音したものを、

テープおこしを、しなければなりませんでした。


それも、英語のインタビューです。

最初は、ほとんど、相手の言っている内容が、わかりませんでした。

でも、何度も、聞いては、ノートに書き起こしをする。

そして、また聞く。

約1時間の取材内容で、5日くらいノートをおこしに、時間がかかりました。


そのときです。

ちょうど、ハンガリーの友人に会いに、ハンガリーに行くことになっていました。

脚がいたいので、また腰痛になるのではと、心配しました。

しかし、行くことにしました。

ただ、荷物は、必要最小限にとどめました。


ハンガリーでは、友人と再会。

温泉三昧の生活で、脚のしびれも、取れてきました。

これこそ、「温泉パワー」です。

わたしは、自然の恵みに救われたのです。





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[2011/02/01 09:21] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
音楽の授業!
ハンガリーの有名な音楽家のひとりに、

コダーイ(1882-1967)という、作曲家がいます。

彼は、作曲家のみならずハンガリーの音楽教育に、

今でも大きな影響を及ぼしている一人です。


コダーイは、ハンガリーの民謡を収集して、それを現代風にアレンジして、

曲を作りました。


また、彼は、音楽教育にも熱心でした。


彼の音楽教育の基本は、「歌うこと」

合唱に力を入れていました。


その理由は、楽器を持っている人だけしか、音楽を楽しむことが出来ません。

しかし、合唱は、楽器を持っていなくても、誰もが合唱の輪の中に、

参加することができるからです。


わたしは、1度だけ、中学2年生の音楽の授業を見学しました。

そのときには、生徒は、リズムの練習、歌を歌ったり、音楽の歴史を学んでいました。


楽器は、授業の中では使われていませんでした。

1回の授業見学で、全く授業で楽器を使わないということを判断できませんが、

わたしが思うに、作曲家コダーイの教育理念が、今でも続いているようです。





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[2011/01/31 19:44] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
温泉大国!
温泉には、とても助かりました。

あの、湯船につかり、ゆっくりという、至福とひと時を

デンマークでは、経験できなかったからです。

シャワーで、体の汚れを落とすだけでした。


ちょうど、わたしは、持病の坐骨神経痛に悩まさせていました。

体が冷えると、痛みを強く感じます。

湯船につかってゆっくり体を温めたいと思っても、

デンマークでは、その思いを叶えることができませんでした。


それがです。

ハンガリーは、なんと「温泉」が、沢山あるのです。

ハンガリーの首都のブタペスト。

わたしの友人がいる、ホドメゾバシャレにも温泉がありました。


ハンガリーの温泉の歴史は、古く、ローマ人が、定住し、

楽しんだことが始まりだそうです。

現在でも、源泉が、1,300ほどあり、

そのうち、300は、入浴目的として利用されています。

この温泉は、ハンガリーでも、治療効果もあるようです。

ハンガリーでは、この温泉は、観光のひとつになっています。


わたしが、滞在した、ホドメゾバシャレの温泉は、屋外にありました。

プールに、源泉を引いているようでした。

水泳用の屋外プールもあり、まだ寒い3月でも泳いでいる人もいました。

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(ホドメゾバシャレの温泉施設)


わたしは、持病の治療もかねて、屋外プールの温泉に入浴しました。

温泉の温度は、約35度ぐらい、だったと思います。

3時間以上、景色を楽しみながら、ゆっくり入浴しました。


おかげで、足の痛みも和らぎ、また、執筆をがんばろうという気持ちに

ハンガリーの温泉は、わたしをさせました。


ちなみに、ハンガリーの温泉の入浴の際に、

注意しなければならないことがあります。

それは、必ず、水着の着用をお忘れなく!





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[2011/01/29 10:03] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
小学5年生から英語!
このハンガリーでは、小学5年生から、英語が必修科目になっています。

5年生からの英語学習は、効果を着実に挙げているように思われます。

1989年以降に、教育を受けた若い世代は、比較的上手に英語を話せるからです。

ハンガリーは、EUの加盟国となり、物、お金が自由にEU域内を流通するようになると、

それにともない、人々も自由に旅をすることが出来るようになりました。

能力のあるハンガリー人は、ヨーロッパ域内で、自由に働くことも可能になっています。

そして、ハンガリーを含めたEU諸国は、グローバルな社会になったわけです。



そのEU域内での共通言語というと、

ハンガリー語やデンマーク語では、絶対ありません。

ドイツ語やフランス語でもありません。


それは、英語です。

ヨーロッパ域内の共通言語は、英語なのです。


かつて、ハンガリーでは、ロシア語が、必修科目でした。

しかし、ロシア語の必修は、過去のもの。


日本でも、今年の2011年4月から小学校5年生より、英語が必修科目になります。


アジア域内は、ヨーロッパのように域内の統合が、政治体制の違いから困難かもしれません。

しかし、アジア諸国が、経済力をつけたことで、物、金、そして人の交流がより、

一層強くなることでしょう。


そして、アジア諸国のグローバル化の流れは、日本でも変化が求められています。

多くの日本企業は、優秀な外国人を採用し始めたからです。

日本人も、島国根性では、いられなくなってしまいました。

このグローバルな流れは、日本でも、決して止めることができません。


これは、わたしの意見ですが、

大学生の「就活」が、上海で行われる、時代も、すぐそこまで来ることでしょう。


日本でも、2011年4月より小学5年生より英語が必修科目となります。

これは、遅すぎです。

しかし、外貨を稼ぐために、人的資源しかない日本では、

必要な教育改革のひとつなのです。




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[2011/01/25 09:24] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
幼稚園!(Kindergarten)
The kindergarten where we just visited, were run the public sector.

However there were a lot of the Cross in the kindergarten.

At first, I thought that the kindergarten is managed by Catholic.

私たちが、訪問した幼稚園は、公的セクターで運営されていました。

しかしながら、幼稚園には、たくさんの十字架がありました。

はじめに、わたしは、この幼稚園が、カトリック教会で、

運営されていると思いました。


This kindergarten was founded 51years ago.

Now children learn about 175 people.

Here is 15 teachers and 7 asistance teachers.

One class is 25 children.

この幼稚園は、51年前に創設されました。

今現在、子どもたちは、175名が、学んでいます。

ここには15人の先生と7人の補助の先生がいます。

1クラスには、25名の子どもたちがいます。


Childern played, drew a picture and sang a song,

so they get a social skill to learn with a lot of children.

子どもたちは、絵を描いたり、歌を歌ったりします。

そして、子どもたちは、他のたくさんの子どもたち共に学ぶことで、

ソーシャルスキルを身につけます。



If children wanted to learn with different age's children,

they could learn with them.

もし子どもたちが、違う年の子どもたちと一緒に学びたかったら、

彼らと一緒に学ぶこともできます。



When we just visited a class, children learned mathematics.

They learned to use a toy of duck how to count the number.

私たちが、ちょうど、クラスを訪れたときには、算数の勉強をしていました。

子どもたちは、数の数え方をアヒルのおもちゃを使い、学んでいました。



I asked a headmaster about the fee of kindergarten.

She said that the school fee is for free.

But parents have to pay their food.

わたしは、幼稚園の学費について尋ねてみました。

学費は、無料ですと園長先生が、言っていました。

しかし、親たちは、子どもたちの食費を払わなければなりません。


In Hungary,if they want to take a licence of paedgog(kindergarten teacher),

they need study at school for three years.

ハンガリーでは、もし幼稚園教諭の資格を取得するには、

彼らは、3年間、学校で勉強する必要があります。


Finally, I asked her.

"What's the best things you work as a headmaster?"

最後に、わたしは、園長先生に質問を投げかけてみました。

「園長先生として働いて、一番良かったことは何ですか?」



Then she said.

"I'm proud of my job, so the kindergarten looks like a big family.

Then I encountered a lot of new things,

therefore I'm excited every day.

I'm really enjoyable."

すると、園長先生は言いました。


「わたしは仕事に誇りを持っています。

そして、幼稚園は、私にとって、大きな家族のようなものです。

それから、わたしは、新しいことに出くわします。

そのため、毎日がとてもワクワクします、

本当に楽しい仕事です」と。


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(私が訪問した幼稚園の園長先生)




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[2011/01/24 19:58] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハンガリーの公立学校 ! (The public school of Hungary)
We visted a public school, where klara once graduated.

Klara and Tamas would arrange to visit her school.

We could meet a headmaster and hear her talks

and visit 1st garde calss and 8grade class.

I would appreciate their concerns.

わたしたちは、クララさんが、卒業した公立学校を訪れました。

彼らが、彼女の学校を訪問することを手配してくれたのです。

私たちは、校長先生にお会いし、そして、お話をお聞きし、

1年生と8年生のクラスの訪問ができました。

感謝しております。


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(私たちが訪問した公立学校)


At first, we visited at 1st grade.

Pupils studied mathematics.

There were many parents in this class, because of an open day.

Parents were watching their children, so pupils were tensed up a little.

はじめに、私たちは、1年生のクラスを訪ねました。

子どもたちは、算数を勉強していました。

授業参観のために、クラスには、沢山の親たちがいました。

親たちは、子どもたちを見ていたので、子どもたちは、少し緊張気味でした。



A girl started crying while they were studying mathematics lesson.

Maybe I think that she couldn't understand this lesson.

As she cried, her mother handed her tissue, so she mopped the tissue on her face.

算数の授業中に、ひとりの女の子は、泣きだしました。

たぶん、この女の子は、この授業を理解できなかったのではないかと思います。

この女の子が、泣いていたので、お母さんは、わが子にティッシュを手渡すと

彼女は、顔をティッシュで拭きました。



As soon as the class finished, her mother came to her daughter,

so the girl cried thoughtly.

She must have cried with disappointment that she couldn't answer it.

授業が終わり、母親は、娘のところにやって来ると、

この女の子は、ワンワンと泣きました。

答えることが出来なかったことに、がっかりして泣いたに違いありませんでした。



Next, we visited the 8th grade class with a headmaster.

Students studied music.

At first a woman's music teacher taught students rhythm.

And then they chorused.

次に、わたしたちは、校長先生と一緒に,8年生のクラスを訪れました。

生徒は、音楽の勉強をしていました。

はじめに、音楽の先生は、リズムを教え、それから,生徒たちはコーラスをしました。


The headmaster showed me the music textbook of Hungary.

The textbook was written by a lot of Hungarian musicians.

For example, Kodaly Zoltan, Bartok Bela.

I thought that Hungary is keen to educate the music of home country.

校長先生は、ハンガリーの音楽の教科書をわたしに、見せてくださいました。

教科書には、たくさんのハンガリーの音楽家が書かれていました。

例えば、コダーイ。

バルトーク。

わたしが思ったことは、ハンガリーは、母国の音楽の教育に熱心なことです。



And then the music teacher quized about music history and composers.

Students were very quiet during this music class,

becasue the headmaster watched their class.

And another reason is that the boys are just changing their voice.


それから、音楽の先生は、音楽史や作曲家のクイズを出しました。

生徒は、授業中、おとなしかったです。

なぜなら、校長先生が、見ていたからです。

そして、他の理由としては、少年たちが変声期を迎えたからです。


And then I sang a Japanse song called "Cherry tree".

After class, some students asked me.

A girl showed me Manga picture which she drew by herself.


それから、わたしは、日本の歌、「さくら」を歌いました。

授業が終わり、生徒の一部が、わたしに質問をしました。

ひとりの少女は、自分で描いた漫画を見せてくれました。


Finally, the headmaster said that this school is a public school and based on Catholicism.

As a problem, the EU has reduced subsidy.

She said.

最後に、校長先生は、公立学校で、カトリック主義に基づいていることを言っていました。

問題として、EUが、補助金を減らしていることも、付け加えて、言っていました。

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(公立学校の校長先生)




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[2011/01/23 14:22] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハンガリーの教育制度!
わたしは、ヘレネスのホイスコーレで、多くのハンガリーからの

留学生に会いました。

会って思ったことは、

ハンガリーは、教育熱心な国というイメージを受けました。



そのひとつが、ハンガリーの政治体制の変化により、

1989年以降に、教育を受けたハンガリー人は、比較的、「英語」を流暢に話せることです。

ハンガリーの学校でも、英語は、必修科目となっています。

それも、初等教育の5年生からです。(日本で言う小学5年生)


その一方で、1989年以前に、教育を受けた人々は、

上手に「英語」を話す人が、少なかったように思われます。

それも、そのはず。

かつては、ロシア語が、必修科目だったからです。


ハンガリーの義務教育は、現在10年間。

かつては、8年間でしたが、2年間延長され、

16歳までが、義務教育の期間となりました。

初等教育の期間は、1年生から8年生までの8年間。

中等教育の期間は、9年生12年生までの4年間です。

途中、編入も可能だそうです。


大学などの高等教育の進学率も高まってきました。

2000年には34%でしたが、

2010年までには、50%台に到達するのではないかとも言われています。


ハンガリー人は、今まで多くのノーベル賞を受賞してきたこと。

多くの音楽家、リスト、バルトーク、コダーイを輩出してきたこと。

また、ルービックキューブの発明もハンガリー人です。


そういうわけで、ハンガリー人から、教養の高さを感じさせる、

わたしの根拠のひとつなのです。




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[2011/01/23 10:31] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブタペストのデンマーク人!
ドナウ川を挟んで、旧市街と新市街に分かれているのが、

ブダペストという街です。


わたしは、新市街のペスト側から、

ドナウ川にかかる鎖橋(チェーンブリッチ)を渡り、

旧市街地のベストへと、歩いて行きました。

CIMG3064_convert_20110121213414.jpg

(鎖橋)


すると、目の前には、ブタペストの街を一望できる、

ブタ(Buda)城が見えてきました。

そして、私は、ケイブルカーを使わず、自分の体力を信じて、

歩いて、階段を登ることにしました。


城へ続く坂道の途中で、

ハンガリーの国会議事堂が見えてきました。

そこで、わたしは、一枚写真を撮りました。

CIMG3075_convert_20110121213558.jpg

(ハンガリーの国会議事堂)


そして、また、坂を登ると、ブタ城の入り口に差し掛かりました。

そこで、学生らしき一団と遭遇。

彼らのファションは、どこかで見覚えがあります。


思わず、わたしは、彼らのひとりに、デンマーク語で話しかけました。

"Kan du teler dansk? "「あなたは、デンマーク語が話すことができますか?」


彼らは言いました。

"Vi er dansk."「私たちはデンマーク人です」

CIMG3073_convert_20110121213503.jpg

(デンマーク人の学生さんたち)


わたしは、とても懐かしくなりました。

デンマークを離れて、たった4日足らずで、異国のハンガリーで

デンマーク人と再会したのですから。


そして、この3月17日は、デンマーク人の友人の誕生日だったので、

ブタペストから国際電話を掛けました。

もちろん、お誕生日おめでとうのメッセージ。

と、「ブタペストのデンマーク人」のことをもでした。




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[2011/01/21 21:31] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハンガリーの教会!
ハンガリー人の友人が、ブタペストのカラチ駅に出迎えてくれました。

その友人の名前は、バラシュさんと言いいます。

2008年のホイスコーレの春の長期コースで、一緒だった方です。


そして、2008年のホイスコーレの秋の長期コースで出会った、

バイオリンの先生のベロニカさんに、泊めていただくことになっていました。


実を言うと、このバラシュさんとベロニカさんですが、隣の家に住んでいます。

隣人同士なのです。


初めに、バラシュさんが、ホイスコーレに留学して、

そのことを、ベロニカさんに教え。

そして、ベロニカさんが、ホイスコーレに留学したのでした。


わたしが、ハンガリーに着いたちょうど、次の日は、日曜日でした。

わたしは、バラシュさんと一緒に、ハンガリーの教会のミサに行きました。

バラシュさんの家から、歩いて3分ほどの距離にあるカトリック教会でした。


ハンガリーは、カトリック教徒が、大多数を占めています。

その他に、プロテスタントのルター派。

カルヴァン派。

ごくわずかですが、ユダヤ教徒の方もいるようです。


このハンガリーでは、10世紀末に、他のヨーロッパ諸国同様に、

キリスト教が広がっていきました。


オスマントルコの勢力が弱まり、

ハプスプルグ家が、ハンガリーを支配するようになります。

その後は、カトリックの勢いが強くなったのでした。


1948年以降の共産党の一党支配にもとに、

教会活動には、弾圧も加えられました。

教会で運営されていた、教育機関も国有化されたのです。


現在では、「信仰の自由」も認められ、

ギムナシウム(高等学校)や大学では、約30%は、ミッションスクールです。


そして、ハンガリー人の約15%が月1回は、教会に通っています。


確かに、バラシュさんと教会に行ったときには、信者の方でいっぱいでした。

デンマークの教会は、ほとんど人がいないので、暖房が必要です。

しかし、ハンガリーの教会は、暖房がありません。

ハンガリーの教会は、信者の人でいっぱいなので、寒さを感じませんでした。


参考文献『ハンガリーを知るための47章』(明石出版)2004年



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[2011/01/21 09:30] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
国際列車でウィーンからブタペストへ!
わたしは、ウィーン空港から鉄道で、

ハンガリーの首都ブタペストに行くことにしました。


当時のわたしのつけている、英日記によると、

13:00発の空港バスに乗り、ウィーン西駅に向かっていました。

そして、空港からウィーン西駅には、13:30に到着しています。

空港バスの運賃は、6ユーロでした。(2008年3月14日現在)


ウィーン西駅で、13時50分発のブタペスト(カラティ)東駅行きの

国際列車に乗りました。

運賃は、34.20ユーロでした。

ブタペスト(カラティ)東駅には、16時53分に到着しました。

所要時間は、3時間03分でした。


時刻表によると、ウィーンとブタペスト間は、

1日11往復の国際列車が、運行しているので、比較的便利なルートです。



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(ブタペスト(カラティ)東駅のホーム)




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[2011/01/20 22:10] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
美しき青きドナウ!
わたしは、コペンハーゲンのカストロップ空港から飛行機に乗り、

ウィーンに向かいました。

その旅は、2008年の3月14日の土曜日でした。

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(カストロップ空港にて)


わたしの乗ったオーストリア航空の子会社、チロリアン(Tyrolean Airway)航空は、

デンマークを飛び立つと、雲に隠れ、

車窓からは、全く外が見えませんでした。


後で、地図で飛行ルートを確認してみると、

これは、私の推測でありますが、


デンマーク→ドイツ→チェコ→オーストリア


と飛行したのではないと思われます。


そうこうしているうちに、チロリアン航空は、デセットを開始。

すると、です。

雲の隙間から、大きな川が見えてきました。


この川こそ、ヨハン・シュトラウスが作曲した、

あの『美しき青きドナウ』の

ドナウ川だったのです。


わたしは、この『美しき青きドナウ』には、とても思い出があります。

その話をここでしようと思います。


わたしが、小学生だったときのことです。

小学校の担任の先生は、音楽が好きでした。

他にも、サッカー、絵を描くことが上手で芸術、

スポーツにマルチな才能を持った先生で、情操教育に力を入れていました。


その男の先生が、音楽の授業のときに、

クラス全員で、音楽の授業のときに、『美しき青きドナウ』をコーラスをしました。

小学生だったので、パートがソプラノとアルトに分かれて歌いました。


そのとき、わたしは、まだ変声期の前で、一オクターブの「ら」の音まででる

ボーイソプラノだったので、ソプラノのパートを歌いました。


この『美しき青きドナウ』の出だしですか、

初めの部分は、アルトとソプラノの掛け合いのように始まっていきます。


初めに、静かにピアニッシモで、アルトが「はるかに」と歌うと。

次に、ソプラノが「はるかに」

そして、アルトが「はてなく」

と、こだまを返すように、歌います。


今度は、ソプラノが「ドナウの」と歌い。

アルトが、それに反応して、「ドナウの」の歌うのです。


そらから、ソプラノが「みずゆく」と歌い。

アルトが、「みずゆく」と反応します。


そして、ソプラノが、「うるわし」と歌い。

アルトが、「うるわし」と歌います。

また、ソプラノが「うるわし」と歌います。


それから、今度はアルトが、「あいいろ」と歌い。

ソプラノが、「あいいろ」と歌ってからは、掛け合いの部分は、ここで終了。


ソプラノとアルトが一緒になって、

「ドナウの水は常にながれる」

と歌います。


ここで、初めて、数々の支流が合流して、

ひとつのドナウ川になった瞬間を連想させられます。



このドナウ川は、国際河川です。

源をドイツに発し、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、クロアチア、

セルビア、ルーマニア、ブルガリア、モルトバ、ウクライナで黒海にながれます。



『美しき青きドナウ』の最後のコーラス部分ですが、

「青きドナウの歌を」

と盛り上がるかたちで合唱が終了します。


まるで、歌を聴いていると、大河となったドナウ川が、

に、流れ込む様子が、目に浮かぶようです。




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[2011/01/19 10:54] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
1848年の独立記念日!(The revolution aniversary in 1848)
Before I travel for Hungary, many Hungarian said that

I must be careful to travel for Hungary.

I couldn't understand what they said at first .

ハンガリーに旅たつ前に、多くのハンガリー人はハンガリーを旅するのには

気をつけなければならないと言っていました。

わたしは、初めに彼らが言っていた事が理解できませんでした。


And I read some books about Hungarian history.

So I wrote down the chronological table on my notebook.

そして、わたしは、ハンガリーの歴史に関する本を読み、

わたしのノートに年表を書きとめてみました。


For example, Magyar tribes settled in Hungary in 895.

Stephen(Istvan) is crowed "Christian king of Hungary" in 1000.

War of independence in 1848.

Hungary is decleared tha "People Republic of Hungary" in 1949.

Hungary is in revolution in October in 1956.

And so on.

例えば、マジャール人が895年にハンガリーに定住した。

ステファノ(イシュトバーン)が1000年にハンガリーの

「クリスチャンの王」になったこと。

1848年の独立戦争。

1949年「ハンガリー人民共和国」を宣言する。

1956年10月に、ハンガリーは革命がある。


They told me.

It was the revolution anniversary of 1848 in Hungary when I will just travel there,

and in 2006, the demonstration occured on the 15th of March around the Heros Square.

彼らは、わたしに、言っていました。

わたしが、ちょうどハンガリーを旅するときは、1848年の独立記念日があり、

そして、2006年には英雄広場周辺で、デモが起きました。


Therefore they worried about me and gave me an advice.

"Don't go to the Heros Square absolutely when people do the demonstration."

そのため、彼らは私を心配して、アドバイスしてくれました。

「人々がデモンストレーションをしているときには、絶対、英雄広場には行くな」

と。


After the aniversary, I went to the Heros Square.

I havn't heard about the news of the revolution aniversary.

Thnaks to Hungarian, I didn't meet with the demonstration at all.

記念日の後に、わたしは、英雄広場に行きました。

わたしは、革命記念日のニュースについて聞きませんでした。

ハンガリー人のおかげで、全くデモンストレーションに遭遇しませんでした。


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(ブタペストにある英雄広場)



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[2011/01/17 21:06] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハンガリー行きの計画!(Make a plan to go to Hungary.)
わたしは、ホイスコーレで、ハンガリー人のクララさんとトマスさん

と仲良くなりました。

12月に、彼らが、ハンガリーに帰国するときに、ひとつのお願いしました。

「ハンガリーを訪れてもいいですか?」

すると、彼らは、

「来てもいいよ」

と言ってくださいました。

I became friendly with Hungarian's Klara and Tamas.

When they went home to Hungary on December, I asked them.

”May I visit Hungary?"

Then they said to me.

"You may visit."



そのとき、バイオリンニストで、学校で先生をしている、

ハンガリー人の女性が、次のようなことを言ってくださいました。

「ブタペストにある私の家に泊まりなさい」

とても、わたしにとっては、ありがたい言葉でした。

今でも、感謝しています。

Then a Hungarian woman who is a teacher and is a violist said as follows.

"Stay my house at Budapest."

It's welcome for me to say her.

I would appreciate their concerns till now.


そこで、わたしは、ハンガリー行きの計画を立てたのです。

And I made a plan to go to Hungary.




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[2011/01/16 08:23] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハンガリー人の友人!(Hungarian Friend)
This was first time in my life to go to Hungary.

Before I go to Hungary, I only got to know about

Tokaj wine, Hungary revolution in 1956 and democratized

from communism in 1989.

ハンガリーに行くのは、わたしの人生で初めてでした。

ハンガリーに行く以前、わたしは、「トカイワイン」

1956年の「ハンガリー動乱」、1989年の共産主義から民主化されたこと

しか、知りませんでした。


To return the subject, I met many Hungarian at folk high school of Helnase.

I met them, so I changed my mind.

And I could make many friends in Helanes.

One of my international friends invited me in Hungary.

話は本題になりますが、わたしは、ヘレネスのホイスコーレで、

多くのハンガリー人に会いました。

わたしは、彼らに会い、気持ちが変わりました。

そして、わたしは、ハンガリーでたくさんの友達ができました。

外国人の友達の一人が、私をハンガリーに招いてくれました。


Their name is Klara and Tamas, who is a young couple.

They are younger than I.

Klara and Tamas are an airtist.

彼らの名前は、クララ(Klara)さんとトマス(Tamas)さんで、若い夫婦です。

彼らは、私よりも若いです。

クララさんとトマスさんは、芸術家です。


And I came true to travel for Hungary.

そして、わたしは、ハンガリーへと旅することが実現したのです。




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[2011/01/15 20:38] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
マジャールの国から!(From Magyar's country.)
Talking of Hungary, what do you remind?

If I were you, I would remind "Rubik's Cube" at first.

This rubik's Cube is a game, which combine with a square of same color.

ハンガリーと言えば、何をあなたは、連想しますか?

もしわたしが、あなたならば、まずはじめに、ルービックキューブを連想します。

このルービックキューブは、同じ色の正方形に組み合わせる、おもちゃです。


And, I guess that Hungarian is good at mathematices

and there are many intelligence persons.

To be sure, they have won the Nobel price a lot.

People say that the one of the most difficult language is Hungary.

By way of parenthesis, as another difficult languages are Arabic and Japanese.

そして、ハンガリー人が数学が得意で、知的な人がたくさんいることを推察します。

確かに、彼らは、たくさんのノーベル賞を受賞してきました。

人々は、言いますが、最も難しい言語のひとつが、ハンガリー語です。

ちなみに、他の難しい言語が、アラブ語と日本語です。



Hungarian's ancester is Magyar, who migrate from Around Ural miuntain chain

and Volga river to Hungary now.

I feel kinship with Hungarian,

because some of them have a black hair and black eyes.

The origin of the Magyar is a nomadic tribe of Asia.

ハンガリー人の先祖は、ウラル山脈やブォルガ川から、今のハンガリーに移住してきた、

マジャール人です。

わたしは、ハンガリー人に、親近感を覚えます。

なぜなら、いくらかのハンガリー人は、黒髪で黒い目をしています。

マジャール人の起源は、アジア系の遊牧民族だからです。

CIMG3158_convert_20110115195421.jpg

(ハンガリーのナショナルフラッグキャリア:マレブ・ハンガリー航空)




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[2011/01/15 10:25] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
ハンガリー(Hungary)からのクリスマスメール!
ハンガリー人の友人からのクリスマスメールが届きました。

A Christmas e-mail reached me from Hungarian friend.


友人のメールによると、

ハンガリーの天気は、先週、とても寒く、雪が降っていました。

According to my Hungarian friend, the weather of Hungary was very cold

and snowed last week.


しかし、今週は、太陽が照り、春のような陽気だそうです。

But this week is that it is warm weather and the sun is shining like in Spring.



クリスマスメールを送ってくださった、ハンガリー人の友人は、

デンマークのホイスコーレで会いました。

In the Danish folk high school, I met the Hungarian friend,

who reached me e-mail from Hungary


彼らは、若い夫婦で、芸術家です。

They are young marriage couple.


以前、わたしは、ハンガリー人の友人に会いに、

ハンガリーに旅したことがありました。

I once met Hungarian friends in Hungary, so I have traveled for Hungary.


その記事については、来年、書くつもりです。

I'm going to write on the blog about the articles.


実を言うと、わたしのブログの、ハンガリー人の友人のブログをリンクしています。

To tell the truth, my blog is connected with their blog.


是非、アクセスしてみてください。

Please access their blog.





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[2010/12/24 09:19] | ベルリン&ハンガリー | トラックバック(0) | コメント(0) |
プロフィール

duck4

Author:duck4
ニックネーム:ダック4(Duck4)
趣味:旅行、バードウオッチング(アヒル・ハクチョウ)
小著:『ヒュッゲの国からデンマーク流人生の楽しみ方』
(本の森出版)

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duck4の定点観測ポイントの川には5羽の滞在組のハクチョウさん。大空を飛ぶことができませんが、元気に毎日、川を泳いでいます。この地域の人々にも愛され続けているハクチョウさんたちです。これからも、定点観測ポイントにいる飛べないハクチョウさんのこと中心にブログを配信していきます。今後ともに、宜しくお願いいたします。ブログ主宰者duck4より!

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