![]() わたしは、この「ヘレネス・ホイスコーレ」を訪問したのが
真冬の2月でした。 お外は、いつも、鉛色の空に包まれていました。 ちょうど、長期コースを行っていた真っ最中です。 この「ヘレネス・ホイスコーレ」の学生さんは、約40人ほどいたでしょうか。 そのうち、10人は、デンマーク以外の外国人です。 ハンガリーなどからの東欧出身。 生越さんご夫婦。 それから30人ほどはデンマーク人でした。 外国人コースは、若者が多かったようです。 デンマーク人のコースは、60歳ぐらいの人が多かったです。 授業は、デンマーク人と外国人のコースに分かれて授業が行われます。 外国人コースの授業は、英語で行われるそうです。 ![]() |
![]() アッセンスを出発したバスは、およそ30分ほどで
「ヘレネス・ホイスコーレ」に11時45分に到着しました。 そのとき、わたしは、思いました。 お昼に到着しても大丈夫なのかと。 でも、学校側は、メールでオーデンセからのバス時刻表が、 送られ、お昼に着くようになっていました。 そうこう考えているうちに「お昼の時間」になりました。 各テーブルごとに分かれて、着席して食事の時間です。 昼食のメニューは 「ふかしたジャガイモ」 ![]() 「豚のスペアリブ」 ![]() 「にんじんのサラダ」 ![]() でした。 わたしもご好意に甘えて、お昼を頂くことになりました。 すると、昼食の途中で校長先生から、 学生さんに対して、挨拶が行われました。 そのときには、わたしのことも紹介されました。 のちに気づいたことですが、わたしにメールを送っていた人は、 この「ヘレネス・ホイスコーレ」の校長先生だったのです。 わたしの初めての英語でもメール友は校長先生なります。 ![]() |
![]() それから、ひとりの女性が、わたしに、英語で話しかけてきました。
目が大きな女性でした。 その女性は、このヘレネス・ホイスコーレの先生をしていることを わたしが、後になって気づくのです。 ![]() |
![]() ![]() |
![]() わたしは、ホイスコーレへ訪問する前に、学校側にメールを送っていました。
そのときに、今回、訪問することになった、 「ヘレネス・ホイスコーレ」からの返答は、いつも早く届きました。 わたしが、メールを「ヘレネス・ホイスコーレ」にメールを送ると、 次の日には、わたしの拙い英語を読んでくれた、担当者さんが、 わたし宛に送ってくださいました。 そのことが、わたしにとって、とても安心につながりました。 そして、その人が、校長先生だとは、 後で知ることになりました。 ![]() |
![]() デンマークへ出発前に、わたしは、ホイスコーレへ訪問したい旨の
メールを送っていました。 すると、ホイスコーレから、いつでも「Welcome」という返答がありました。 それも、「お昼においでください」ということでした。 でも、わたしは少し悩みました。 お昼に訪問しても良いものか! 後で、「お昼においでください」という理由が分かることになります。 ![]() |
![]() オーデンセは、デンマークで最も有名な童話作家、
ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)の故郷です。 14歳までこのオーデンセに住んでいました。 それから、役者になりたいという夢を実現するために、 彼は、母を残して、コペンハーゲンへと旅立ったのです。 わたしは、せっかくなので、オーデンセに滞在中に、 「アンデルセン博物館」に行くことにしました。 おそらく、わたしをそうさせたのも、アンデルセンが、 童話『醜いあひるの子』を書いたからでしょう。 この童話は、彼の自伝的童話と言っても過言ではないと言われています。 それは、14歳で役者を志そうと思ったものの、声がつぶれて、挫折。 劇作家になろうとするも、満足な教育を受けてなかったアンデルセン。 そこでアンデルセンは、ラテン語学校で一から勉強をすることになります。 彼を除くすべての生徒が5歳以上も年下という中で、いじめられ、劣等感を 覚えました。 そのことが、あひるの親からは、邪魔者扱いされ、 助けられて、農民の家でも、自分のとんまな行動で失敗して、 居ずらくなり、醜いあひるの子は、飛び出していき、 とうとう寒い冬を一人ぼっちで過ごすことになります。 そして、このままでは、寂しくて死んでしまうという思い出で、 白鳥に殺されても仕方がないという、半分が諦めと、 半分が彼の最後の勇気の気持ちを持って、醜いあひるの子は、 白鳥たちの方へ飛び立っていったのです。 この童話『醜いあひるの子』は、彼の劣等感、孤独感を乗り越えて、 最後には「一か八か」という賭けという気持ちもあったと思いますが、 成功ストーリーを描いたのではないでしょうか?! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() カール・ニールセンは、デンマークでも有名な作曲家のひとりです。
彼は1856年に生まれ、14歳の時にオーデンセの軍楽隊の トランペット奏者になりました。 コペンハーゲンに移ってからは、正式に音楽教育を受けるように なります。 1888年に初めての交響曲を作曲したのです。 彼は、生涯の中で6つの交響曲、賛美歌、愛唱歌を作曲しています。 ![]() |
![]() わたしは、オーデンセにある「Det Littel Hotel」に泊まりました。
このホテルの意味は「小さなホテル」という意味があります。 以前、このホテルは、デンマーク人の作曲家、カール・ニールセン が住んでいたとのことでした。 とてもこじんまりしたホテルで、値段もデンマークのホテルの中でも 格安の方です。 ![]() |
![]() 「さあ 出発です」
今日は、オーフスを離れ、オーデンセに行きます。 切符を買うときに、「指定席にしますか」と駅員から言われました。 その意味が乗車してから分かりました。 途中で、列車は満席になり、指定をしなかった私は、 立たなければなりませんでした。 ![]() ![]() |
![]() インフォメーションセンターのいた女性の職員さんに、
どこに「あひるを育てる少女の像」があるか、 わたしは、尋ねました。 ![]() すると、その女性は、銅像のリストが書かれていた資料から、 「あひるを育てる少女の像」を探し当て、わたしに 教えてくれました。 早速、わたしは、高ぶる気持ちを抑えて、行きました。 そして、とうとう、ご対面となりました。 ![]() (オールボーで撮影した「あひるを育てる少女の像」) ![]() |
![]() このエグモントのホイスコーレには、障がいを持った方を介護するために
ケアワーカーもいます。 彼らは、このホイスコーレで学びながら、介護の仕事もこなすそうです。 そのため、彼らには、勤務シフトもあり、仕事をまわしています。 エグモントのホイスコーレは、障がいを持った人も介護サービスを受けながら、 安心して学ぶことができる学校なのです。 わたしが訪問したときには、日本人の先生をお手伝いしている、 それも、日本人アシスタントの先生もいました。 その助手の先生は、ホイスコーレに学んでいたときに、 1台のカヌー作りをしたそうです。 この話を聞いた私は、思いました。 「何か思い立ったら自ら行動して、やってみたいことができる学校」 それがホイスコーレだと。 ![]() ![]() |
![]() エグモントのホイスコーレは、日本人の学生も受け入れています。
定員は10人です。 デンマーク語や英語に自信がない人も安心して学ぶことはできます。 ホイスコーレなので、専門的な資格を取得はできません。 しかし、デンマークの福祉事情を知りたい人にとっては、 最適な学校のひとつのことでしょう。 まさに、ノーマライゼーションを実践しているような学校だからです。 エグモントのホイスコーレの先生に案内されて、 日本人コースの学生にお会いしました。 ちょうど、私が訪問したときには、 若い女性6名。 若い男性1名の7名がいました。 若者が多いようですが、エグモントのホイスコーレでは、 50歳代ぐらいの人も留学に来たことがあるそうです。 ![]() |
![]() エグモントのホイスコーレへ早めに着いたわたしは、
学校の周りを見て歩くことにしました。 すると、ロッジ風の建物が、森の中にありました。 よく覗いてみると、学生寮のようでした。 それから、校舎へと歩いていきました。 すると、5分ほど待ったことでしょう。 日本人の先生が、現れました。 簡単なごあいさつの後、校舎内を案内してくださいました。 このエグモントのホイスコーレは、とても大きな学校で、定員が確か 130名だったと思います。 障がいを持った人たちも安心して、学べるように、介護スタッフもいます。 そのため、身の回りの介護を受けながら、安心してホイスコーレで 学ぶこともできます。 ノーマライゼーションの発祥の国、デンマークらしい学校のひとつだと 思いました。 ![]() |
![]() そのホイスコーレへの訪問は5分ほどで終わりました。
そのわけは、わたしに会ってくださったデンマーク人の先生から、この学校では デンマーク語のみで授業を行うからだそうです。 わたしは、デンマーク語が分からないので仕方がありません。 これにめげつに、他の学校を2箇所を見学することになります。 ![]() |
![]() わたしは、女性がやっているゲストハウスに2泊することにしました。
場所は、コペンハーゲンの中心部にあり、回りは高層住宅が立ち並んでいます。 窓からは、子どもたちが遊ぶことが出来る公園が見えました。 このゲストハウスの女性は、障がいを持った方々の学校で先生をしているそうです。 そのため、朝7時には出勤するので、わたしは、玄関の鍵もらいました。 ![]() (ゲストハウスの部屋の内部) そのゲストハウスのオーナーさんから、デンマークのことをいっぱい聞きました。 英会話の練習も兼ねてです。 ![]() (ゲストハウスの女性オーナーさん) これから向かう、ホイスコーレのこと。 オーナーの仕事のこと。 リトアニアからの女性がよくこのゲストハウスを利用すること。 安い食料品を買うことが出来るデンマークのスーパーマーケットのこと。 など、などです。 一番印象的だった話が、 「なぜ、多くのデンマーク人が英語を流暢に話せるのか?」という 質問をしました。 ![]() すると、その女性は言いました。 「デンマークは、経済を豊かにするために外貨を稼がなければなりません。 そのため、デンマーク人は、英語教育に力を入れています」 ![]() 彼女の話を聞いて、ごもっともと思いました。 日本は、海外との貿易に成り立って外貨を稼いでいます。 是非、日本の英語教育も、もっと英語を話すことに力に、 重点を置いて欲しいです。 そうすれば、海外に関心を示す日本人も増えることでしょう。 ![]() |
![]() わたしのバックパックをターンテーブルから取り、
あっけない税関手続きを終え、デンマーク入国。 ![]() 空港から、バスに乗り、コペンハーゲン市内に向かいました。 ![]() 途中、バスは、コペンハーゲン中央駅、チボリ公園前、そして市庁舎前を通過。 そして、バスを下車。 ![]() メールで送られてきたメモを頼りに、ゲストハウスの場所を探しました。 しかし、なかなか見つかりませんでした。 そこで、わたしは、そのゲストハウスの女性に携帯電話で話していると、 「ジャパニーズ。ジャパニーズ」(Japanese! Japanese!) と叫ぶ、大きな声が聞こえました。 (コペンハーゲンの宿泊場所を探す方法) ![]() (1)コペンハーゲン中央駅にあるインフォメーションセンターに行って探してもらう。 ![]() (2)Wounderful Copenhagenというコペンハーゲンの観光局のHPにアクセスする。 http://www.visitcopenhagen.com/(英語版、デンマーク語版) ![]() (3)自分の勘を頼りに、一軒一軒ホテルに入って、「泊まりたい」と交渉をする。 ![]() (4)心配な人は、日本から予約をしていく。 ![]() ![]() |
![]() 「アテンション・プリーズ。アテンション・プリーズ。
まもなく搭乗手続きを閉めさせていただきます」 という構内アナウンスを聞き、わたしは飛行機の中に乗り込みました。 スカンジナビア航空984便。コペンハーゲン行きは、成田空港A滑走路、一路、 コペンハーゲン・カストロップ国際空港へ、テイクオフしていきました。 そして、わたしは、「機上の人」になったのです。 しばらくすると、機内放送があり、 「所要時間は11時間45分。気流の関係で、ところどころにゆれがあるので、 シートベルト着用サインが消えても、お閉めください」のことでした。 その後、ドリンクサービスがあり、ソフトドリンクは無料。 アルコールは2本まで無料とのことでした。(エコノミーの場合) スカンジナビア航空984便は、シベリア上空を夕日と追いかけっこをしながら、 ロシアを経て、バルト海を超え、スウェーデン上空を通過して、降下をはじめました。 わたしは、飛行機の降下とともに、胸がわくわくしてきました。 よし、これからフォルケホイスコーレの下見をするぞ。 そして、帳のおりたコペンハーゲン・カストロップ国際空港に、ランディング。 一歩。 デンマークへと足を踏み入れたのでした。 ![]() |
![]() わたしは、海外に行くときには「バックパック」(Backpack)に荷物も入れて旅をして
きました。 その理由は、ヨーロッパのでこぼこした石畳の道でも、自由に歩くことができること。 両手が自由になるので、忘れ物の心配をしなくてもすむこと。 それから、中学生のときに、学校指定の背負いカバンでしたが、そこに教科書、ジャージ などを入れて、毎日約6キロ、背負って通学することに慣れていたからでしょう。 愛用しているのは、グレゴリーのバックパックです。 50リットル入る、かなり大型のものです。 グレゴリーのバックパックは、長時間背負っていても、疲れれません。 それは、ショルダーベルト、背中の背負うところにクッションが入っているからです。 ただ、わたしは、持病の腰痛があるので、必ず8キロ以内に荷物をパッキングします。 しかし、今回も帰国するときには、空港で荷物を預けたときに、12キロに達していました。 10キロ以上になると、やはりしんどいですね。 わたしは、成田空港第1ターミナルの南ウイングにあるスカンジナビア航空の カウンターに向かいました。 ![]() |
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duck4の定点観測ポイントの川には5羽の滞在組のハクチョウさん。大空を飛ぶことができませんが、元気に毎日、川を泳いでいます。この地域の人々にも愛され続けているハクチョウさんたちです。これからも、定点観測ポイントにいる飛べないハクチョウさんのこと中心にブログを配信していきます。今後ともに、宜しくお願いいたします。ブログ主宰者duck4より!
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